大阪市生野区で、来日からおよそ1年のネパール人留学生(22歳)が、自転車で交差点に進入し、車と衝突して亡くなりました。「止まれ」の標識の意味を理解できていなかった可能性がある、と報じられています。
通っていた日本語学校の校長先生は、事故のあと交差点に立ち、英語やベトナム語で注意を呼びかけ続けているそうです。素晴らしい行動だと思う一方で、私はこのニュースを、単なる「良い話」で終わらせたくないと感じました。
事故があった交差点は、信号も横断歩道もない住宅街の生活道路と市道が交わる場所で、日本語だけの「止まれ」の標識が立っていました。留学生は昨年4月に来日したばかりで、大学進学と、将来は介護の勉強をすることを目指していたそうです。真面目に日本語を学び、遺品の教科書には学んだ内容が細かく書き込まれていたといいます。
なぜなら、同じ構図が、外国人材を雇用する中小企業の現場でも、日常的に起きているからです。今回は、このニュースを入り口に、外国人材を雇う会社が最低限押さえておくべき「安全配慮義務」と、生成AIを使った具体的な対策についてお伝えします。
目次
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「マニュアルを渡した」だけでは危険な理由
労働契約法5条には、安全配慮義務という考え方が定められています。会社は、従業員が安全に働けるよう、具体的に配慮する義務を負う、というものです。
この義務は、雇用形態にかかわらず、正社員はもちろん、技能実習生や特定技能の外国人材にも同じように及びます。そして、この義務は「一度説明した」「マニュアルを渡した」という事実だけでは、果たしたことになりません。
重要なのは、相手が本当に理解できたかどうかです。日本語の理解度に差がある外国人材の場合、このギャップはとりわけ大きくなります。冒頭のニュースで言えば、標識という「伝える手段」はあっても、それが「本当に伝わっているか」を確認する仕組みが、社会全体としてまだ十分でなかった、ということだと私は考えています。
「うちは日本人だけだから関係ない」と思われるかもしれませんが、人手不足が続く中、技能実習・特定技能・日本語学校を出た留学生など、さまざまな形で外国人材の採用を検討している中小企業は、業種を問わず増えています。製造業や建設業、飲食業、介護の現場では、すでに外国人材なしでは現場が回らないという会社も少なくありません。そうした会社にとって、安全配慮義務は、これから避けて通れないテーマになっていきます。
中小企業の現場で実際に起きている場面
私がこれまで相談を受けてきたなかで、外国人材を受け入れる会社に共通して見られる場面があります。架空の会社に置き換えると、次のような流れです。
- 入社初日、日本語の安全マニュアルを渡す
- 「わからないことがあれば、いつでも聞いてください」と伝える
- 本人は「はい、わかりました」とうなずく
- 実際には、内容の半分も理解できていない
- 数週間後、機械の操作ミスや、労災につながりかねないヒヤリハットが起きる
- 会社は「ちゃんと説明したのに」と困惑する
「わかりました」という返事は、理解の証明ではなく、その場の空気を悪くしたくないという、優しさの言葉であることが少なくありません。これは日本人同士でも起きることですが、言語の壁がある相手だと、その差はさらに大きくなります。
もう一つ、よくあるのが「最初の1回の研修で終わらせてしまう」パターンです。入社時にまとめて説明し、以降は現場のOJTに任せきりにしてしまうと、本人が分からないまま作業を続け、周囲もそれに気づけないという状況が続きます。特に、繁忙期に急いで受け入れた場合ほど、このパターンに陥りやすい傾向があります。
「伝わったか」を確認する仕組みの作り方
標識を多言語にすることや、マニュアルを整備することは、いわば「ハード(仕組み)」の対策です。しかし、ハードだけでは不十分で、本人が理解しているかを直接確認する「ソフト(対話)」が欠かせません。
具体的には、次のような工夫が有効です。
- 「わかりましたか?」ではなく、「今の内容を、自分の言葉で説明してみてください」と聞く
- 危険な作業の前だけは、口頭説明+実演+本人にやらせてみる、の3段階を必ず踏む
- 入社1週間後、1か月後に、あらためて理解度を確認する面談を設ける
- 「わからない」と言いやすい雰囲気を、日頃から作っておく
冒頭のニュースで、校長先生が交差点に立ち続けているのは、まさにこの「ソフト」の部分です。標識という制度と、直接語りかける対話。その両方が揃って、初めて命は守られます。
中小企業の現場に置き換えると、これは特別なことではありません。朝礼で1分だけ、前日の作業で気になった点を確認する。月に一度、外国人材だけを集めた小さな面談の時間を作る。そうした小さな積み重ねが、「わからないことを言い出せない」空気をなくしていきます。
生成AIで多言語マニュアルを作る具体的な手順
「多言語対応が大事なのは分かるが、そこまで手が回らない」という声を、これまで何度も聞いてきました。しかし今は、生成AIを使えば、多言語マニュアルは数時間で作れる時代になっています。
たとえば、次のような形で進めることができます。
- 既存の日本語マニュアルを、生成AIに読み込ませて「やさしい日本語」に書き換える
- 同じ内容を、従業員の母国語(英語・ベトナム語・ネパール語など)に翻訳させる
- 危険な作業だけを抜き出して、ピクトグラム付きのチェックリストを作る
- 翻訳後の文章は、必ず人の目で内容と危険箇所の表現を確認する
「うちは忙しくて、そこまで手が回らない」という言い訳は、もう通用しにくくなっています。以前であれば、多言語マニュアルの作成は翻訳会社に外注する必要があり、費用も時間もかかる作業でした。しかし今は、経営者自身のパソコン1台で、その日のうちに一次案を作ることができます。もちろん、専門用語や法令に関わる部分は、社労士など専門家によるチェックを挟むと、より安心です。
雇うと決めたなら、それくらいの準備は最低限すべきだ、というのが私の考えです。ただし、マニュアルを作って渡すだけで終わりにせず、渡したあとに「本当に伝わったか」を確認するところまでを、セットで考えてください。
よくある質問
Q. 技能実習生や特定技能の外国人にも、安全配慮義務は同じように適用されますか?
A. はい。雇用形態を問わず、労働契約法5条に基づく安全配慮義務は、すべての労働者に及びます。特に日本語の理解度に差がある場合は、通常よりも丁寧な説明と確認が求められると考えてください。
Q. 生成AIで多言語マニュアルを作る際に、注意すべき点はありますか?
A. 機械翻訳の精度は大きく上がっていますが、専門用語や危険箇所の表現については、必ず人の目でダブルチェックすることをおすすめします。特に「〜してはいけない」といった禁止表現は、ニュアンスが弱く翻訳されてしまうことがあるため、注意が必要です。
Q. マニュアルを作る以外に、すぐにできる対策はありますか?
A. まずは、既存のマニュアルや掲示物のうち、危険な作業に関わる部分だけでもピックアップし、優先的に多言語化・見える化することをおすすめします。すべてを一度に整えようとすると挫折しやすいため、命に関わる部分から着手し、範囲を広げていくのが現実的です。
まとめ:「伝えた」で終わらせず、「伝わったか」まで確認する
外国人材の受け入れが進む今、標識やマニュアルを多言語化することは、最低限のハードです。しかし、それだけでは足りません。本人が本当に理解しているかを、対話で確認するソフトが揃って、初めて安全は守られます。
「マニュアルを渡したから大丈夫」ではなく、「渡したあと、本当に伝わっているか」に、少しでも不安を感じたら、ぜひ当社にご相談ください。
筆者プロフィール
泉 正道(いずみまさみち)|特定社会保険労務士/採用定着士/生成AIアドバイザー
姫路を拠点に中小企業延べ150社以上へ伴走。採用・定着・労務の相談累計3,000件超(2026年8月現在)。北は福島、南は佐賀まで顧問先があり、全国オンライン対応。
中卒→ニート→売れない漫画家→特定社労士。国立高専を半年で中退し、20代前半は全国誌でギャグ漫画を2年間連載するも、鳴かず飛ばずのまま終わる。定職に就かない時期を経て、勤め先では悪質な嫌がらせにも遭う。「仕事ができない人間」として過ごした日々と、あの職場の記憶。その両方が社労士を志すきっかけとなる。2014年に社会保険労務士登録、2019年7月に独立。
「採用より定着が先」——これが口癖であり、信念。耳が痛くても言い続ける。親に与えてもらった環境や収入を「全て自分の力」と誤解する2代目社長に、常識を教えてあげたところ、解約された過去あり。それでも伝え続けるのが私の役目だと思っている。
支援の軸は制度(ハード)と対話(ソフト)の両輪。就業規則や評価制度を整えるだけでも、研修や面談を繰り返すだけでも、人の問題は解決しない。両方が噛み合って初めて、人が辞めない組織が動き出す。伴走と「耳が痛い話」ができる社労士でありたい。
生成AI支援では「研修を受けた企業の9割が1ヶ月後に何もしていない」という現実に向き合い、クライアントのPCを直接触り、その日のうちに仕組みを作る「実装型伴走」を展開。商工会・商工会議所・大手生命保険会社でのセミナー講師としても精力的に活動中。
